1年かけてFF3からFF8までをクリアしました
ファイナルファンタジー3から8までをクリアしました
さて、カンボジア行った話を書こう書こうと思って書き進めてはいたものの、なかなか大作になってきたので、書きあがらない。年内中にはアップできるようにゆっくり書いていこう。
さて、1年前にこんなエントリを書きました。
ミニファミコンでバンドルされてたFF3。懐かしさと面白さとですっかり昔の気持ちを思い出し、FFシリーズに手を出してしまった。昔FFはファイファンって言ってた時期があって、現在も1年に一度くらいネットでその議論を見かけるんですが、基本的には「エフエフ」がマジョリティですね。そりゃそうだ。なんだファイファンって。
話を戻すと、FF3をミニファミコンでクリアしたあと、我が家にあるプレステ2で、昔かったファイナルファンタジーコレクションを引っ張り出し、FF4~FF6をクリアしました。
これね。ホント面白いよね。FF。基本的にはドラクエ派ですが、FFも好きです。FF3の発売は1990年で、中3の時。そこからFF8まで、すべてリアルタイムでプレイしてました。それを20年以上経って改めてプレイしても面白い。今から比べるとそりゃグラフィックも劣ってるし、画面サイズは4:3だし、アナログの地上波感あるけど、何より面白い。
んで、FF6までをクリアしたらそりゃやりたくなるよねFF7。プレステ版のソフトは家にはすでになく、がしかし、PSP版のFF7があった!うれしくて飛びついたんだけど、まあ画面が小さい。PSPの画面小さいねー。スマホの解像度になれてしまうと、PSPの解像度でFF7はキツい。なんか方法ないのかなと探したらこんなものが。
PSP-3000用接続ケーブル『PSP S端子&AVケーブル 3M』
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- メディア: Video Game
これでFF7がテレビでプレイできるようになった。マジ名作ですね、FF7。面白かったなー。そして最後のFF8もPSP版でプレイ。FF8は面白いんだけど、僕のFF熱が冷めていった作品だったのを思い出し、なかなか進まない。結局今日のクリアまで2ヶ月くらいかかった。エンディングもなんだかなー、って感じだったし(すっかり忘れてたけど)。
で、面白いのは僕がプレイしたFFシリーズをウチの息子たちが後追いしてやってるんだよね。おもしれーおもしれーって言いながら。前述しましたが、僕のFF3当時の年齢は中3。長男は今中3。時代を超えて中3に刺さるFFは本当にすごいんだなって思いますよ。
ハノイという街が好きです
ハノイ4回目なのでなんとなく書いてみる
11/1(水)から11/5(日)まで、ベトナムはハノイに行ってました。今回で4回目のハノイです。毎回仕事で3泊〜4泊の滞在をします。あくまで仕事なので、ほぼ観光はしてないです。隙間を縫って散歩したりするくらい。真面目ちゃんなのです。そもそも4回も何をしにハノイに行くんだよ、と思いますか?思いますよね?思ってくれた人のために書くと、僕は普段インターネット企業で人事の仕事をしてます。で、ハノイで新卒エンジニアを採用しており、その採用活動や、内定者フォローのために来ています。(ほら真面目)
滞在中はパートナー会社のオフィスで席を借りて、日本とやりとりしながら仕事してました。なので、昼間は通常業務、夕方くらいから夜まで内定者フォローで、内定者のご家族と食事などで時間を使ってます。前置き長くなったんだけど、そんな4回目のハノイで改めてこの国というかハノイすげーなー、ベトナムいい国だなー、って思ったのでブログに書いてみます。2年間で撮影した写真とともに、とりとめもなくつらつらと。
とにかくバイクの街
タイトルでは「街」とつけましたが、ハノイは人口750万人を超える大都市です。実際に高層ビルもあるし、本当に人も多い。一方コンクリートジャングルなわけでもないし、バイクで一周できてしまう(と思える)ような身近さや、手軽さを感じる「街」でもあると思ってます。
初めてハノイに行ったのは2年前。実際に目で見るまでのベトナムの印象は「バイクの多い国」でした。一般的なそれと同じく、とても多いんだろうなー、と思ってました。
それが自分の目で見たとき、誤った認識だと反省しました。思っていたよりも10倍は多かったです。マジで多い。
かなり大きな道路だとこんな感じ。逆走してくるバイクとかざらにいる。
大きな歩道などでは、1人がショートカットすると、みんなショートカットするので、どんどん歩道にバイクが入ってきます。信号も守らない人が割といます。
2人乗り3人乗りは当たり前で、4人乗り5人乗りもいます。大人2人に子供3人などですね。何年か前に法律でノーヘルは禁止になったらしく、みんなヘルメットかぶってました。ただ、薄くてファッショナブルなヘルメットも人気らしく、現地の人いわく「かぶってるだけ」とのことです。
実際どのくらいなのかと調べてみました。この記事によると、
2016年5月15日時点でのベトナム全国の車両登録台数は、自動車が281万1683台、バイクが4539万7679台となっている。
だそうです。ベトナムの人口は9,270万人(2016年)なので、だいたい2人に1人はバイクを持っていることになります。
日本はというと、 JAMA - 二輪車 保有台数1,121万台(2016年)で、人口1.27億人(2016年)なので、大体9人に1人。
表にするとこんな感じです。
まあ何が言いたいかと言うと、バイクが多いと道の反対側に渡るのが大変、ってことです。すぐに慣れるけどね。あとは排気ガスがすごい。ただこれがハノイの醍醐味なんだよなー、とも思ってます。不思議とね。
ベトナム料理は本当に美味しい
何が正当な系譜を持つベトナム料理かはわかりませんが、多分日本におけるカレーとかラーメンとか、そういったレベルの国民食含め、ベトナムで食べるご飯はとても美味しいです。(ただ単に僕の口に合うというだけかも知れません)
写真が撮れてなかったり、撮るタイミングがイマイチで分かりづらいかも知れないけど、これもブログの醍醐味だということで貼っていきます。
マーガリン焼肉美味しい。
多分、マーガリン焼肉だけはイメージできないと思います。僕もそうでした。いいんです。「ベトナム料理は全部美味しいんだなあ」って思ってもらえればいいんです。ああ、ベトナム料理が食べたくなってきた。
歩道とはコミュニケーションスペースである
ハノイ住民のみなさんは、歩道に店を出す。正確に言うと店かどうかはよくわからない。なんかお店を広げてる、って感じ。小さなイスを5〜6個と、お茶とビール、あとはなんだかよくわからないツマミを売ってるのか配ってるのかもわからない。すごく簡易的なオープンカフェがそこら中にある感じといえば伝わるだろうか。いい写真が無かった。
そこにみんな集まってワイワイやってる。ずーっと話してる。言葉もわからないし、参加したこともないので全然わからないんだけど、ワイワイやってる。楽しそう。商店や飲食店の前の歩道は、間違いなくその商店や飲食店のスペースとして使われる。そりゃもうギリギリまで使われる。ここでも歩行者はよけて歩くことを余儀なくされる。でも、よけて歩くと車道に出てしまう。これも1日で慣れます。慣れたらあっという間に味わい深い風景になる。いいか悪いかなんてどうでも良くて、ハノイでは歩道は人と人が交わる大事な場所だと思ってもらえたらいいと思います。(完全なる主観だけど)
タクシーが安い
ハノイはタクシーがとても安い。もっと安い移動手段としてUBERやGrabバイクなどあるけど、僕はヘタレなのでタクシーを使う。安いし。ワンメーターは日本円だと60円くらい。大抵の場所までは数百円で行けます。ただ、不安もあるので自分一人で乗る場合はTAXI GROUPというタクシー会社に決めてました。現地の人がそこにしろとのアドバイスだったので、忠実に守ってます。未だにわかってないことが一つ。お釣りの概念。数千ドン〜15,000ドンくらいまでの幅でお釣りが戻ってこないです。数十円とかの世界なので、特に何も言わずに降りるのですが、なんだろう?チップなのかな?
タクシー以外でも、ちょっとしたコンビニなどでもこれはあって、端数のお釣りが適当になる。逆もしかりで、たまに端数はいらないとおまけしてもらうこともある。なんだろう?ベトナムは基本的にチップのない文化だと思いつつも、そうじゃないのかも。これ、ベトナム人にも聞いたんだけど、ちょっとわからない感じだったので、独特のルールなのかなあ。
ハノイの観光スポットを少しだけ紹介
内定者が「ぜひ案内させて!」と今回半日を使って案内してくれた。すごいいい子たちでおじさん感動。遠慮なくお付き合いいただいた。
その1 ホーチミン廟
ベトナム 建国の父、ホーチミンのお墓であるホーチミン廟へ行った。
すごく広い!観光客もたくさんいて、感覚的には中国人6割、韓国人2割、その他で2割という感じ。
博物館や、邸宅なども併設されていてそこも見学した。ベトナム人は無料!
その2 ホアンキエム湖
定番の観光スポットであるホアンキエム湖へ。なんとなくの雰囲気だけど、上野〜不忍池の雰囲気を感じました。周辺はすごくキレイに保たれていて、地元の人も多く、ちょっとした散歩にいい感じ。
ハイスタのニューアルバム「The Gift」を買った
エモい気分
9月が終わる
夏の終わりっていうより、9月の終わり。キリのいい時期って自分の人生考えるタイミングでもありますね。僕の働く会社でも多分に漏れずそんなメンバーが何人かいました。なんとなく、エモい気分になり、珍しくTwitterにそんなエモさあふれる投稿を連投したので貼っておく。
6年前の今日、前職を退職したので今の会社で本日丸6年を迎えました。週明けからは7年目に突入します。そんな中(どんな中)、今日は3人の社員を送り出す送別会がありました。3人が3人とも、それぞれの上司を含め、想いのこもった挨拶をしてくれました。僕個人としてもそれぞれに想いはあります。
— 新田 良 Ryo Nitta (@2ten0) 2017年9月29日
今日送り出したメンバーは、僕のベーシック入社時期が近い同期のような存在、まだ人事ではなく事業責任者だった頃の新卒、もう一人は人事になったあと自分で採用した人。僕の6年間でしっかりと思い出に刻まれる存在だった3人です。それぞれからベーシックで働いて良かった、と挨拶をもらいました。
— 新田 良 Ryo Nitta (@2ten0) 2017年9月29日
社会人になり、3社目。今までの会社でも沢山の人たちを送り出し、自分も送り出されてきました。でも、僕は今のベーシックという会社は本当にいい会社だと思ってます。立場とか役割ではなく、ただ単にいいことを言いたいわけでもなく、本当にそう思う。だからこそ重なり合った道に感謝をするし、
— 新田 良 Ryo Nitta (@2ten0) 2017年9月29日
とはいえ、ただ単に楽しいだけなら集まってる意味もない。成長できる会社であり、挑戦できる会社でありたい。週明けたら7年目になる。何気に社会人生活で一番長い会社です。自分も組織もまだまだ未熟だし、足りないことばかりだけど、僕はそれでもこの会社が好きなんです。一緒に働く仲間が好きです。
— 新田 良 Ryo Nitta (@2ten0) 2017年9月29日
今月もお疲れ様でした。来月からはいよいよ今年最後の四半期です。頑張っていきましょ。
— 新田 良 Ryo Nitta (@2ten0) 2017年9月29日
最近学生が「エモい」って良く言ってるのを耳にするのですが、結構昔から言ってる感覚があって、時代は常に動きまくっていて、一周でも三周でもして、回る回るよ時代は回る。まさに喜び悲しみ繰り返し。
夏の日の1993 あの日病院で見たおじいちゃん
あの日僕は病院にいた
1993年夏の日、僕は病院にいた。高校3年生、暑い夏の日の朝、病院の待合室で僕はそのおじいちゃんに会ったんだ。この日の前日、僕は原因不明の血尿が出て、大きな病院に検査に来ていた。怖い、何が原因なんだろう、どんな検査をされるんだろう。不安に押しつぶされそうだった。おじいちゃんも不安そうな顔をしていた。横には娘さんだろうか、50代くらいの婦人が付き添っていた。
ここは泌尿器科。何をするにもまずは検尿だ。高校生の僕でも、高齢のおじいちゃんでも例外ではない。突如待合室に響き渡る娘さんの金切り声。
「おじいちゃん、なんでオシッコ出ないのよ!」耳を疑った。
「そんなこと言ったって出ないんだよ...」おじいちゃんの悲しそうな声が聞こえる。そこから何度も娘さんはおじいちゃんを責め立てる。検査どうするの、ここまで来たのに、なんで家でトイレ行っちゃったのよ、と。
僕は耳を塞いだ。戦争をくぐり抜け、高度経済成長を支えてきたであろうおじいちゃんが、オシッコが出ないと娘に叱られている。こんな悲しい話は聞きたくない。僕だってどんな検査をされるか不安でしょうがないんだ。耳を塞ぐ僕に看護婦さんが笑顔で呼びかける、診察室に来てください、と。僕は悲しそうな顔をしたおじいちゃんを横目に診察室に入った。田舎の病院の診察室。外ではアブラゼミがうるさく鳴いていた。
なんでこんなことを急に思い出したんだろう?僕は今健康診断に向かっている。簡易的な人間ドックのコースで胃カメラを飲むんだ。人生で二度目の胃カメラ。すでに健康診断が終わった同僚たちは胃カメラの辛さを僕に伝えてくる。憂鬱な気持ちで僕は今病院に向かっている。昨晩から絶食で、今朝は水も飲んでない。昨夜ベッドで眠りにつく前、「明日、朝トイレに入ったら検尿できないかもな。起きたらトイレに行かずに、そのまま家を出よう」そう思っていた。
果たしてそうはならなかった。寝起きにトイレに行ってしまったら後の祭り。ああ、もう僕の体の中にオシッコは戻って来ない。覆水盆に返らずだ。僕は不安で胸がつぶされそうだ。あの日の待合室で会ったおじいちゃん、僕もオシッコが出ないかも知れないです。あなたは一人じゃない、そう今なら伝えてあげたい。
頭の中に流れるのはclassの「夏の日の1993」サビしかわからないこの曲が延々と流れてる。あの日も外ではアブラゼミがうるさかった。
ライブハウス新宿JAMが年内で閉店するらしいので思い出にひたる。
あの頃僕たちは若かった
Twitterを眺めてたら衝撃のニュースが目に入った。
初めて新宿JAMに行ったのは上京したてのピカピカの18歳。今から23年前の話です。僕は当時インテリアデザインの専門学校に入学し、一方で高校の先輩や友達とパンクバンドを結成して意気揚々とドラムを叩き、なんの悩みもなく、楽しさしかない毎日を過ごしてました。東京でライブハウスと言えば新宿ロフトを筆頭に下北沢シェルターや屋根裏、たくさんのライブハウスがありましたが、仲間がライブをするということで東京で初めて行ったライブハウスが新宿JAMでした。
「これが東京のライブハウスか!」とすごく気持ちが高揚したのを覚えてます。その新宿JAMが年内で閉店。寂しさはあるものの、最後に行ったのは16〜17年前だし、人気バンドであったわけでもないから、むしろノルマのチケット代を集めるのが精一杯で、新宿JAMでギャラもらった回数なんて数えるほど。寂しがるのもおこがましい(笑
でも、僕にとっては思い出深いライブハウスです。
初めての自主企画をしたライブハウス
正確には仲間内のバンドが発起人ですが、初めての自主企画をしたライブハウスが新宿JAMでした。パンクバンドばかりが集まって、鋲ジャン、モヒカン、刺青、パンクスだらけの企画。みんなでレコード作ってレコ発のイベントもやりました。すげー楽しかったんですよ。間違いなく僕の青春の1ページは新宿JAMにあったなと思う。
楽器を持って、明治通りをひた歩き、花園神社の脇を抜けてライブハウスに向かう。
当時、ブッキングがいつも同じバンドばかりで、いつまでたっても新しいお客さんが増えず、それが不満で新しいライブハウスを開拓し、下北沢屋根裏や新宿アンチノックでライブをしたりもした。でも、練習スタジオとしてもちょいちょい新宿JAMを使ってたので、やっぱり好きだったんだな。正直、特徴らしい特徴は無いんだけどね。
当時の仲間たちとは全然会ってない
最近働きながらバンドをやるには、ってイベントをやってる人たちがいて、ホント昔の自分に聞かせてあげたい。
新宿JAMでライブやってた頃は学生時代かバリバリのフリーターで、それが王道だと思ってた(笑
あの頃の知り合いはどれくらいまだ現役なんだろうか?少なくとも一つだけは現役なのを確認してるけど、41歳になった今、僕はドラムを叩くこと自体が年に1〜2回しかない。毎年のように「今年こそバンドやりたいなー」って思ってるけどずっと実現しない。どんどん腕は錆びていくというか朽ちていく。それでもいいかなー、なんて思ってたけど、新宿JAMのこのニュースを見てなにかがふつふつとしてきた。これはそういうタイミングなのかもしれないな。
映画『ムーンライト』を観てきた
日常を切り取る純文学
近所の映画館で5/5までの公開だったので、滑り込みセーフでアカデミー賞作品賞の『ムーンライト』を観てきた。観終わった瞬間は「え?もう終わり?」となったけど、一つ一つ振り返ると、「ああ、これはどこまで行っても日常を切り取った純文学なんだな」という感想に落ち着いた。
ストーリーの山とか、ドキドキワクワクな展開とか、そういう話ではない。どこまでも日常。徹底して黒人しか出てこない、黒人居住区における日常の話。それを描いたらこうなんだな、と。
もうほとんどの映画館で公開終了してるので、今すぐ観に行けとは言いませんが、海外旅行に行って現地のスーパーマーケットに寄った時、「あー、この人たちこういう生活してるんだなー」とか考えたりする人は観た方がいい。非日常的なドラマではなく、日常の中にドラマってあるんですよ。見えてないだけでさ。
あらすじや予告編は以下。公式HPより引用。
/ リトル 月明かりで、おまえはブルーに輝く。
シャロン(アレックス・ヒバート)は、学校では“リトル”というあだ名でいじめられている内気な性格の男の子。ある日、いつものようにいじめっ子たちに追いかけられ廃墟まで追い詰められると、それを見ていたフアン(マハーシャラ・アリ)に助けられる。フアンは、何も話をしてくれないシャロンを恋人のテレサ(ジャネール・モネイ)の元に連れて帰る。その後も何かとシャロンを気にかけるようになり、シャロンもフアンに心を開いていく。ある日、海で泳ぎ方を教えてもらいながら、フアンから「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」と生き方を教わり、彼を父親代わりのように感じはじめる。家に帰っても行き場のないシャロンにとって、フアンと、男友達ケヴィンだけが、心許せる唯一の“友達”だった。// シャロン 泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ。
高校生になったシャロンは相変わらず学校でもいじめられている。母親のポーラは麻薬におぼれ酩酊状態の日も多くなっていた。自分の家で居場所を失ったシャロンは、フアンとテレサの家へ向かう。テレサは「うちのルールは愛と自信を持つこと」と、昔と変わらない絶対的な愛情でシャロンを迎えてくれる。 とある日、同級生に罵られひどいショックを受けたシャロンは、夜の浜辺に向かうと、偶然ケヴィンも浜辺にやってくる。密かにケヴィンに惹かれているシャロン。月明かりが輝く夜、二人は初めてお互いの心に触れることに… しかし、その翌日、学校ではある事件が起きてしまう。/// ブラック あの夜のことを、今でもずっと、覚えている。
あの事件からシャロンは大きく変わっていた。高校の時と違い、体を鍛えあげ、弱い自分から脱却して心も体も鎧をまとっている。ある夜、突然ケヴィン(アンドレ・ホーランド)から連絡がある。 料理人となったケヴィンはダイナーで働いていて、シャロンに似た客がかけたある曲を聴きふとシャロンを思い出し、連絡をしてきたという。あの頃のすべてを忘れようとしていたシャロンは、突然の電話に動揺を隠せない。 翌日、シャロンは複雑な想いを胸に、ケヴィンと再会するのだが―。
http://moonlight-movie.jp/公式HP
予告編はこれ。