にったろぐ

漫画が好き。散歩が好き。ものづくりが好き。

親兄弟や親戚と語る過去・現在・未来

生きている時間軸で語る視点が変わる

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久しぶりに親兄弟・親戚が集まった

ここ1ヶ月で弔事が続いた。7月に親戚が亡くなり、お通夜や葬式があった。また、この週末に奥さん側でも法事があり、期せずして自分側も奥さん側も親兄弟と親戚が集まる機会があり、改めて思ったことがある。それは生きている時間軸によって過去と現在と未来の視点が違う、ということだ。(まあ当たり前の話ですよ)

一番顕著に思ったのは、年寄りから見る未来というのは、すでに完結しているということだ。それは何かというと、年寄りが過去に描いた未来というのは、今の僕達そのもの、ということ。伯父さんや伯母さんと話していると、僕達が小さかった頃の話で盛り上がるんだよね。「お前が赤ん坊の頃は」「お前がこんなしっかり働いてるなんてねー」とかそういう話。

その頃に考えていた「子どもたちが大きくなる頃には、どんな世界なのか」ということが、人生の時間軸として完結している。それが描いた通りなのかどうかはわからないんだけど、今目の前に「大きくなった子どもや孫世代」がいることによって、それはすでに未来と同義なんだよね。

これを自分の視点に置き換えるとよくわかる。

親戚や従兄弟など、そういう人たちが子供を連れてくると、「この子たちが大きくなったら」の視点に自動的に置き換わる。未来は想像するものなんだ、って改めて理解できる。

そのための現在確認があって、「今仕事何やってるの?」「景気はどう?」というこれ以上無い「現在の話」が展開される。あー、これって友達とか会社とかそういうコミュニティでは起きづらい話だなー、って。自分の事を赤ん坊の頃から知ってる人たち、自分の親兄弟のことを知ってる人たち、さらにそこから増えている子どもや親戚。そういうものが集まってこそ、の話だなと。

すべての時間軸が凝縮されてる感じがした。めちゃくちゃとりとめのない話だし、なんのオチも無いんだけど、40歳っていう年齢は「身内」が集まる機会が増える年齢なんだなと気づいたよ。