にったろぐ

漫画が好き。散歩が好き。ものづくりが好き。

ネタバレへの寛容さとセルフ期待値コントロール

ネタバレ不可避の世の中

OMG!
twitterにしろfacebookにしろ、僕のTLはとてつもなく意識の高いnote(ここでいうnoteはnote.muで投稿されている文章やクリエイティブを指す)であふれかえってる。よーし、僕も一発いい感じの意識高いnote投稿しちゃうかな、なんて思ったけどマジなやつは時間かかるし、思いつくネタはブログや増田(はてな匿名ダイアリーの通称)で書けよ的なものばかりだった。

なもんで、本当にどうでもいいブログっぽいものをはてなブログに投下することに決めた。電車で移動してる隙間時間に。

ネタバレは悪なのか?

以前にこんな記事を見ました。
ネタバレに関する討論。楽しそう。

最初に結論を言っておくと、僕はネタバレどうでもいいです。自分で見聞きしたらいいじゃん、って思うし、ネタバレで興味なくなるならまあそんなもんだよね、と。で、なんでこんなこと思ったかというと、「ブログ書こうかなー」「オーシャンズ8観たし、感想でも書こうかな」って思った時、ネタバレを書かずに感想を書ききる自信が無かったからです。豪快にネタバレ書いたらインターネット不寛容マンが出てくる。僕はリアルでもネットでも敵を作らないことを信条としてます。まあ、敵を作るほど影響力はないけどね(笑

閑話休題

現代はインターネット登場以前と比べて、情報に触れないようにすることが難しい(特に東京は)。まずスマホ。生活習慣のようにSNSのアイコンをタップしてる。ニュースアプリもそうだし、大抵のものはご丁寧に通知してくる。運良く、家にスマホを忘れたとしましょう。同僚はリアルタイムで知った情報を大きな声で話しかけてきます。そこまでして知りたくない情報ってあるのだろうか?多分ワールドカップの勝敗なんてそれにあたるんでしょうね。

前述しましたが、僕個人はどうでもいいです。そういう人がいる、という事実に対して「なんでなのかなー?」って思ってるだけで。

人は無意識に設定した期待値に感情を上下させる

完全なる主観ではありますが、大抵のことはこういうことなんじゃないかなと。予測や期待、それを事前に知ってしまうことによりそのコントロールができなくなる。それがイヤなんだろうなー。面白いのか、面白くないのか、勝つのか、負けるのか、どんなオチなのか、なにが盛り上がりポイントなのか。自分でなんとなく思ってること、その期待を超えて欲しい、満足したい、でもその期待値が上書きされてしまうとイライラしちゃう。でも、事前に調べたりもしちゃうし、偶然見聞きしてしまう可能性も高い。これは大変ですよね。

なので、僕は常に自分で期待値コントロールをします。たまたま知ってしまった、これから知るはずだった事実に対して、自分の期待値を一定にすることを意識します。自分の目と耳で判断できるように。僕は僕の幸せのために寛容に生きたい。みんなが同じ気持ちだったらいいよね。

(本エントリは今後ありえないレベルのネタバレエントリをアップした際のいいわけに使っていくために書いたので、みなさん寛容に温かい気持ちで包んでいただければこれ幸いにて候)