人生は思ったより長いからゆっくりと自分を知っていきたい
人生100年時代を考える
40歳にして惑う
年末に「LIFE SHIFT」という本を読んだ。ざっくり言うと、人生100年時代をどう生きるのか?という本です。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略
- 作者:リンダ・グラットン,アンドリュー・スコット
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: Kindle版
体感的にもそうだけど、やはりデータ的にもそうですね。
年始ということもあって、自分の人生に対して、少しは考えますよね。普段そこまでシリアスに考えることはないし、年1回くらい考えてもまあいいでしょうと。ポエミーで抽象的、かつ長文、っていう自分の頭の中を書くって行為でしかないけど、たまには真面目っぽいのもいいでしょ。
さて、LIFE SHIFTの書評をするつもりではないので、詳しくは割愛しますが、この本は、
- 自分を知り、自分にとって何が大事か知り、自分の資産を知り、柔軟に、生きがいと幸福を求めて生きましょう
って感じのことを言いたいんだろうな、と受け止めました。これは読んだ人それぞれの感想でいいと思うので、あくまで僕の個人的な感想です。
人生が100年という長さになったとき、65歳で仕事を引退すると、余生が35年。寿命が75年だった時代だったら、たった10年。そうなると、備え(お金)の考え方も違ければ、人付き合いも違う。僕は去年40歳という一年を過ごし、なんだか感覚的に「折り返し」って思ったんだけど、実際にはそれよりもうちょっと長そう。「不惑」とは孔子が論語にて伝えた言葉ですが、実際に40歳になってみるとわかりますが、惑います。もちろん大人だなと思うし、ちゃんと仕事もしてます。ただ、子供の頃に観てた40歳のおじさんたちよりは、相対的に子供だなって思うし、惑いがある気がします。
それらにはいくつかの要素があって、
このあたりでしょうか。
僕らの祖父母くらいの時代は景気もよく、一つの会社に入って長く勤める。定年後は10年くらいの余生を孫に囲まれ楽しく過ごす。こんなテンプレが思い出せると思います。もちろん、その時代時代の苦しみはあると思いますが、そういう時代だったんだと思います。今は違います。少なくとも、東京という土地に生活をしてる限りは、そういう時代ではなくなりました。一つの会社で終身雇用というイメージは少なく、昔あった仕事は無くなるものもあり、生き方、働き方には選択肢が増え、長生き。
そりゃ惑いますよ。疑いを持たずに生きていくことすら難しいほどに。で、LIFE SHIFTから読み取った話に戻るんですが、「自分を知り、自分にとって何が大事か知り、自分の資産を知り、柔軟に、生きがいと幸福を求めて生きましょう」と僕は書きましたが、来るべき100年時代に備えて、改めて「自分を知る」ってことを考えてみたいと思います。
好き、は力になる
Twitterを眺めてたら、集英社の元日広告がタイムラインに流れてきました。
ぜひリンク先見てみてください。これ、すごく好きです。特にルフィ。
これ、本当にそうだなー、って。人生が長いスパンになったとき、何をするにも「好き」を規準にするのはいいと思うんですよね。何よりも熱量を生みます。ことわざでもあるように、「好きこそものの上手なれ」を上手く活かせると楽しく物事が進められると思います。
本当に自分が好きなことはなんなのか?それこそ寝食忘れてのめりこめる何か。
好きなことが仕事にできたら幸せだし、余生(というか、2ndシーズン、3rdシーズン)が長いこの時代、好きなことに楽しむ時間が増える、とも考えられます。2016年は仕事の難易度も高かったし、ストレスだってめちゃくちゃあったと思うけど、その仕事が好きか嫌いかって言われれば、好き。それは幸せなことなんだと思います。ただ、趣味的に好きなマンガとかものづくりとか、それを仕事にはできてないですけどね。でも、これは長い人生の中で、楽しむ時間にあてられると思います。LIFE SHIFTにおける、「お金以外の資産」である、人間関係なども、「好き」なものからつながることが多いので、大事にしたいと思います。
得意なことってなんですか?
さっきは「好きこそものの上手なれ」と言いましたが、「下手の横好き」だってありえます。好きだって上達しないこと、好きなだけじゃたどり着けない領域ってありますよね。自分を知るには、得意なことも理解しておくことが大事です。得意なことは「求められること」につながっていくと思います。仕事でもそうだし、コミュニティにおいてもそう。ミニマムな環境で言えば、家族の中でさえそう。自分が存在する価値、みたいなものをわかりやすく得られるのがそういう「得意なこと」を起点にしてることだったりします。
これね、正直な話で言えば、「僕が得意だと思ってるんだから、それでいいじゃん!」ってことでも良いんです。理想を言えば、第三者から評価されてることがいいと思うんですが、自分ひとりの幸せ、幸福度で言えば、幸せな方がいい。例えば、歌うことが好きで、でも音痴。それでも「好きだし、得意!」って本人が思ったらそれは幸せなんじゃないかな。
まあとはいえ、仕事だったり、自分のアイデンティティだったり、そういうことを考えた場合に、得意なことというのは、一定の結果を出せていることでしょうね。僕自身、この得意なことっていうのは結構悩みます。特別秀でてるなにか、というのは持ってないなー、って。
やりたいことって本当にあるのかな?
やりたいことありますか?って聞かれると悩みませんか?僕は自分のことを本質的にはそういうことが少ない人間だと思ってます。仕事では部下にも聞くし、人事担当という仕事柄、いろんな人に聞きます。もちろん、何も無いわけではないし、やりたいことだってあります。
ただね、何か「ちゃんとしたこと考えておかなきゃ」って思うこともあるんですよ。強迫観念に近いかも。でもなー、そんな簡単に見つからないよね。
んで、今のところの結論で言えば、
- ふわっと将来やりたいなー、ってことを考える
- 短い期間(3年、1年、半年、1ヶ月)くらいでやりたいことを考える
- 節目を作って、節目のときだけしっかり考える
こんな感じの思考にしました。
で、飾らず、気取らず、背伸びせず、で考える。これらで随分楽になりました。あとは道なり、成り行きでもいいと思います。もちろん、何かの競争社会においてとか、働く会社員としての評価されること、とかそういうのとは別です。長い人生において、どう考えるか、ってのがテーマだった場合、こういう考え方でいいや、ってのが今の結論です。
なりたい姿より、ありたい姿を考えると幸せになれる
やりたいこと、に近いんだけど、「なりたい姿」を聞かれると困ることありませんか?なんていうか、立派なことを言わなくちゃ、って思っちゃう。仕事の上で、とか、上記に書いた「節目」のときは考えてみるといいと思うし、なりたい姿が明確な人は強いです。いろんな局面において強い。迷いとかブレは少ないほうが遠くに行けると思うし、そんな人について行きたい。
でも、これだって明確な人は少ない。僕だってそう。そんな場合は「ありたい姿」で考えてみると幸せな気持ちになれます。「ああ、僕はこれで良いんだ」って思える。ただね、履き違えちゃいけないのはこれを都合よく使っちゃダメ。まわりに迷惑かけるから。僕自身、ありたい姿だけは「家族を幸せにできる人でありたい」と言語化してます。そんなに難しい話ではないし、むやみやたらに立派で、自分自身にしかできないこと、とかじゃなくてもいい。ここで重要なのは、生きていく上で「大事だなー」ってことを考えてみたらこうなった、ということです。
都合よく考えちゃダメ、って書きましたが、都合よく考えたら「自分の家族だけ幸せならいいでしょ」とか「それが僕らしさ」とか言い出しちゃう。これはダメです。ありたい姿には「行動指針」も作ってみましょう。僕の行動指針は「家族に話せないような負い目は作らない」です。そうすると、変な「らしさ」とかは排除できるし、まわりに迷惑もかけない。「ありたい姿」は自分の大事な部分なので、こういうのが重要です。
ちなみに「なりたい姿」が明確な場合は、ある程度は「信念」にもとづいて「手段を選ばない」とかも必要だと思ってます。程度の差はあると思いますが。
この手のことを考えるには、以下の2冊は参考になりました。ド定番ですが、おすすめです。
生きがいとか、幸福度とかは指標
人にはいろいろな側面があって、自分自身そのものとして、夫として、父親として、企業人として、などなど。一つ一つには役割があって、求められてることもそれぞれ違うと思う。人生が100年続く時代になると考えたら、一つ一つの関係性(家族とか、仕事とか)は長く考えた方がいいなー、って思うし、それらを考える上で、一本芯を通した方が考えやすい。で、それを考えるには自分をしっかり知って、自分には何があるか知って、それらを活かした人生を歩むことが「幸せ」につながるんじゃないかと思ってます。
あらゆる役割や局面においてゴールはあるし、何度でもスタートがある。その度に生きがいは変わるだろうし、ピークだって違う。そう考えたら、生きがいとか幸福度なんてたんなる指標でしかないし、自分のものさしをどうやって持つか、それだけ。
取り立てて何かの結論がある話では無いんですが、人生は思ったよりも長いし、そんなに簡単に結論は出ない。自分自身もまだまだ惑いっぱなしなので、ゆっくりと自分に向き合いながら人生を楽しんで行きたいです。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。